008:煙草



(クソッ…しくじった…)
どくどくと腹から溢れ出る血を少しでも抑えようと蹲るが、その動きは酷くぎこちなかった。
体が、うまく動かない。
(…ヤロウ、面倒なことしてくれるぜ…)
ふと視線を横にやると、手のひらに納まるほどの箱がひとつ、血に濡れて転がっていた。





事の始まりは、寄港した春島。
季節は春で、そりゃあ見事な桜が島のあちこちに咲いていた。
ルフィもナミもえらく喜んでいて、特に危険がなさそうなら、急ぐ旅でもなしと、しばらく桜を楽しむことにした。
チョッパーは、本物の桜を見たのは初めてらしい。
島が見えたあたりから、ずっと食い入る様にして桜を見ていた。

俺はサンジと買い出しに出かけた。
港町は結構賑わっている。それなりに規模のある島のようだ。
下見も兼ねて、保存がきくものは購入する。
あいつは、デートだなどと言いながら、うきうきと店を回っていく。
俺も、やはり浮かれていたのだろう。桜ってのは、人の心を動かす力を持っているようだ。
穏やかな気持ちでヤツの後をついて歩く。

それは、本当に気まぐれだった。
別に特別な日だったわけでもなく、ただ目に入ってきただけだった。
穏やかな気候と景色と気持ちが、普段の俺なら見逃すであろうそれを、店先で見つけさせた。
隣の店で、親父と話し込んでいるヤツを見る。
この島の食材についてでも話しているのだろうか、活き活きとした顔だ。
俺は、あいつに見つからないよう、何気ない振りをして、その小さな箱をひとつ、手に取った。
手持ちの金なんて、たかが知れてる。ひと箱でいいだろう。
けど、俺からヤツに何かをやるなんて、今まで一度もしたことがないから、あいつは驚くだろう。
そしてきっと、すんげェ嬉しそうな顔するんだ。
…ああ、たまには悪くねえな。
そう思って微かに笑い、店の主に声をかけた。





何でこんなことになったんだか。
…ああ、その後、視線を感じたんだ。もちろん、不穏な。

賑わってる街の空気を壊したくなくて、自ら路地裏に足を向けた。
すぐに片づけて、気付かれないうちに戻るつもりだった。

俺を取り囲んだのは、せいぜい十数人。賞金稼ぎだか何だか知らないが、大した人数ではない。
だが、あれが悪かった。
一斉に襲い掛かってくる男達の間を縫って、屋根の上から、矢が、飛んできた。
一発、腕を掠ったが、すぐに屋根の上の男もぶっ飛ばした。
大技を使ってさっさと終わらせようとしたその瞬間、異変が起きた。
……ふいに、ガクンと足の力が抜ける。腕にも力が入らず、刀を取り落としてしまった。
なんとか踏みとどまったものの、ひとりの男のナイフが、俺の腹を抉った。
瞬間、目の前が真っ暗になった。

恐らく、矢に即効性の毒だか薬だかが塗ってあったのだろう。
次に気付いたら、周りには武器を持った男たちが転がっていた。
どうやって倒したのか覚えちゃいないが、どうやら無理やり体を動かしたおかげで、全身に毒だか薬だかが回ってしまったようだ。
立っているのが億劫になり、そのまま重力に逆らわず、地面にダイブした。
…体がだりィ。ナイフにも何か塗ってあったんじゃねェだろうな。

無意識に暴れてる時にでも落としたのだろう、腹巻きに入れていた小さな箱が、赤く濡れて転がっている。
震える腕を伸ばし、それを引き寄せる。
「ハッ……こんなに…血が付いてちゃ……渡せねェな…」
自嘲気味に笑いながら、封を切る。
サンジにと思い、気まぐれで買った、煙草。
中から一本を取り出す。
中身は無事だったようだが、俺が手にしたことにより、血の色に染まる。
「……こんなもん、うまいのかよ…」
この体に、煙草はよくねェだろ、などと思いながらも口にくわえ、店主がおまけにつけてくれたマッチで火をつける。
きっと意識がはっきりしていないせいだ。…なんとなく、サンジを近くに感じたかった。
「…っ、げほっ、…げほっ……っ…!」
初めての煙草に俺は咽る。ついでに、腹に力が入ったせいで、血も一緒に吐き出した。
あー、何やってんだ、カッコ悪ィ…。
蹲りながら、今度は深く吸い込まず、すぐに煙を吐く。
…やっぱりマジぃ…。
こんなもんを美味そうに吸うあいつが信じらんねェ。
…けど、あいつが煙草吸ってると、なんか落ち着くんだよな。
なんて、ぼやけた頭でとりとめもなく考える。
腕に力が入らなくなり、ぱたりと横に倒すと、血溜まりで火が消える。

丁度その時、走り寄ってくる影が見えた。
必死な顔をして何か叫んでいるが、よく聞き取れない。
…やっぱ残念だな、喜ぶ顔が見たかったのに。
俺は、箱を握りしめたまま、意識を飛ばした。





気づいたのは夜だった。
ベッドに寝かされている。
窓からは、星空と店の明かりが見えるから、そんなに遅い時間ではないのだろう。
…近くの宿にでも担ぎ込まれたか。
腕を動かし、手を握ったり開いたりしてみた。
まだ万全ではないが、動くようだ。
腹はずきずき痛むが、いつものことだ。しばらく大人しくしていれば大丈夫だろう。
ガチャリと音がした。
そちらを向くと、扉からサンジが入ってきた。
「お、気がついたか」
何気なさを装いつつ、安堵したような表情だった。
「お前、丸1日寝てたんだぜ?ったく、陸に着いた初日から面倒起こしやがって。
結局荷物は全部俺が持つハメになるし、迷子のマリモ探しのおかげで予定は狂うし、
挙句に血濡れでぶっ倒れてやがるし。チョッパーにも心配かけさせやがって…」
「悪かったよ。……お前にも心配かけたな…」
あまりにも悪口が続きそうだったので、ちょっと素直に、でも冗談のつもりで言ってやった。
そしたら、意外にも反撃の言葉はなく、憎たらしい面をくしゃっと歪めた。先程とは一変、泣きそうな顔をしている。
…ああ、どうやら、マジで心配されていたらしい。
「…っ、バカやろっ…!!また勝手にいなくなったと思ったら血だらけになってやがるし…!
声かけても返事しねぇし……目…覚まさねぇ…し……っ!!」
俺が寝ている布団に顔を埋め、手がシーツを握りしめている。
「…悪かった」
俺は、ゆっくりとした動きで腕をヤツのひよこ頭にのせ、ぽんぽんと叩く。
そう、俺が素直になってやると、こいつは意地を張るのをやめるんだ。

しばらくそうしていたら、ヤツも落ち着いたようだ。
布団から顔をあげる。少し照れ臭そうだ。
それを誤魔化すように、多少上ずった声で話しかけてきた。
「そ、そういや、さ。お前、何で煙草なんか握りしめてたんだ?一応そこに置いてあるけどよ…」
そう言われて目をやる。
ベッドの横にあるテーブルに、皺が寄った血濡れの箱があった。
「…ああ、別にいいんだ」
気まぐれを起こして買ったそれは、もう使い物にならないだろう。
サンジの手に渡らないのは残念だが、何だか満たされたような気がしているから、それでいい。
「お前にやろうと思ったんだけどさ…」
ぽつんと呟いた。
…あれ?今俺、口に出したよな?
別に言うつもりもなかったが、ぼけっとしていたらつい口をついてしまったようだ。
だが、その時のヤツの顔は見物だった。
驚いたように俺を見て、目をまんまるに見開いた。
次にみるみる顔を真っ赤にして、口を金魚みたいにパクパクさせて。
そして、………そして、すんげェ嬉しそうに笑ったんだ。
………ははっ、何だ、予想通りの反応。
その顔を見て、俺もすんげェ嬉しくなった。
思わず、笑った。
「っ…ははっ!っぶははははは!!…い、いてっ…っ、あはははは…っ!!」
腹は痛ェのに笑いが止まんねえ。
「……!何笑ってんだよっ!!!」
ヤツは、顔を真っ赤にしながら、怒っている。その顔がまた可愛らしくて、更に俺は笑い続けた。

ああ、たまには気まぐれを起こしてみるのも、悪くねえな。
そう思いながら、煙草に手を伸ばした。











ゾロにとっては(身体的に)痛いお話ですが、サンジくんには幸せを噛みしめてもらいました。
普段はゾロからの愛情なんて泣けるくらい感じないのでしょうが(笑)
でも、ゾロは時々、こんな優しさを無意識に出してるんだと思います。