嵐
ベッド脇の窓が、ガタガタと激しい音をたてる。
大粒の雨と吹き荒れる風が、割れる程の勢いでガラスを叩く。
嵐が来る、とナミが言った。
しかし幸いにも、嵐に遭遇する前に島に着くことができた。
金さえ払えば海賊船でもドックに入れてくれる大らかな気風の島だ。
港町は大いに賑わい、島の中央に進めば更に大きな街があるという。
まずは嵐をやり過ごそうと、クルーは思い思いに港町の宿に向かった。
三階に取った部屋は、晴れていれば賑わう街並みを見下ろすことができただろう。
だが今は、店は大方閉められており、外を歩く人影もない。
サンジはベッドに腰掛け、雨でほとんど何も見えないにも関わらず窓から外を眺めていた。
眺めている、という表現は間違っているかもしれない。
その目は確かに霞みがかった景色をうつしているが、意識的に見ているわけではない。
ただぼんやりと、サンジはそこにいた。
「不安か?」
ストレートな質問がサンジの鼓膜に届く。
その声は、ぶっきらぼうでありながら優しげな響きをもっていて、本人らしいなとサンジはかすかに笑う。
船の上にいたならピリピリしていてあっという間に喧嘩になったのだろううが、今はそんな気分にならない。
地に足がついているからだろう。
船の上で嵐に遭遇すると心の中も大荒れで、不安を出すまいとしてイライラしたり無性に暴れたくなったりする。
トラウマだと自分でわかっていても、どうすることもできなかった。
昔の記憶が嫌でも呼び起こされる。
また遭難したら。仲間が同じ目に遭ってしまったら。大切な人を失ってしまったら。
やり場のない気持ちが体の中で渦巻き、平静でいられないのだ。
陸の上で嵐に遭うと、逆にぼんやりとして何も考えられない。
危険がないとは言わないが、海の上より何十倍も何百倍も安全であることは間違いない。
嵐は不安だという思考だけが残り、かといって船にいる時のように忙しなく動いて思考を紛らわせることもない。
動くのも億劫なので結局もやもやとしたものを抱えたまま、ただ時間だけが過ぎていった。
「そう見えるか?」
見えないわけないだろうなぁと、他人事のように思う。
恋人の前では不安を見せたくなかったのだが、今日は取り繕うことさえ面倒だった。
どうせ取り繕ったって、こいつはお見通しだろうなぁというのも、素のままでいる理由の一つだ。
「まぁな」
サンジ曰く恋人であるゾロは、部屋の隅にある小さなテーブルの上のワインを弄んでいる。
サンジが大人しいので、なんとなく手持ち無沙汰だった。
いつもならひとりで飲んでいても平気なのだが、今日はそんな気になれなかった。
本人は気付いていないが、つまるところ心配なのだ。
「陸の上でもか?」
嵐になると、サンジが情緒不安定になることはクルー皆が気付いていた。
しかし、サンジ自身はそれを知られたくないと必死に隠しているので、あえて触れることなく接している。
あんたが気をつけてあげなさいよ、と、ゾロはナミに言われている。否、脅されている。
ナミの脅しは不服だが、言われたことには賛同した。
不安を隠したいのならそうすればいいが、嵐の度にストレスを溜め続けるのは良くない。
少しでも取り除けるなら、それに越したことはない。
「……そうだな。嵐は嫌な思い出だって染み付いちまってるからなぁ…。情けないことに、なかなか拭い切れないのさ」
弱音を吐くなんてめずらしい。
ゾロはそう思った。
自分にできることなら何かをしてやりたいと思う。
しかし、慰めるなんてことは今までしたことがなく、どうすればいいかわからない。
散々悩んだ結果。
赤い液体の入ったグラスを置き、椅子から立ち上がってベッドに近づく。
そして。
ぎしりとベッドが音をたてる。
サンジの隣に体を寄せ、ゾロの唇がサンジの冷たいそれに触れる。
甘くて柔らかい。
手は、雨の湿気で少しはね気味の金髪を優しく撫でる。
子供をあやすように。
顔を離して見えた表情に、サンジはくすりと笑った。
「慰めてくれてんの?」
慣れない行為に戸惑いながらも、己を心配してくれたのだろう。
何とも複雑な顔をして眉を寄せているが、サンジにはその心配が嬉しかった。
「……寂しそうな顔、してた」
普段なら余計なお世話だと突っかかっていただろう。
でも今日は、好意に甘えてみようかとサンジに思わせた。
温かな気持ちが、心に染み込んでくる。
「そっか。じゃあ……」
啄ばむように、今度はサンジの方からゾロの唇を味わう。
「もっと、なぐさめてよ」
目を丸くするゾロがかわいい。あんなに沈んでいた気持ちが、ゾロのキスひとつでじわじわと浮上する。
あぁ、俺にはコイツが必要だ、なんて陳腐なセリフが頭をよぎる。
仕方ねぇな、とゾロは苦笑する。
キスなんかで立ち直れるほど浅いトラウマじゃないと思っていたのに、キスひとつで思考が嵐からゾロへと移った。
もちろんトラウマは根深いところでサンジを捉えているのだろう。
しかし、少しでも気が紛れるならいくらでも付き合ってやろうと思うくらいには、ゾロはサンジを想っている。
今夜はとことん甘やかしてやろう。
そう決め、ゆっくりとサンジの体を押し倒す。
今度は長く、長く、冷えた唇に温度を戻そうとするかのように口づけた
いつか、嵐の日の想い出が、分け合うぬくもりに塗りかえられればいい。
サンゾロですよサンゾロ!
ゾロは、表現の仕方が下手でもちゃんとサンジを想っていますよ。
キスでサンジが浮上するのは確信犯ではなく天然君のなせるわざですよ。
だからサンジもコロッとやられちゃうわけです(笑)。