「あ、起きた」
「ゾロ、大丈夫か?気分悪くないか?」
「まだ熱っぽいわね」
そんな会話が頭上で聞こえた。
ぼやける視界をどうにかしようと、何度か目を瞬く。
うっすらと見えてきたのは、同じ船のクルーであるナミとチョッパー、そしてロビンだった。
「……ぁ…?」
声を発しようとしたが、喉に引っ掛かってうまく出なかった。
すぐにチョッパーが察し、水を飲ませてくれる。
「ゾロ、ここがどこだかわかるか?」
チョッパーの問いに、ゾロは辺りを見回す。
普段はあまり足を踏み入れることはないが、ゾロは当然この場所を知っていた。
「女部屋……?」
そこは確かに、ナミとロビンが使う、メリー号の女部屋だった。
「なんで……?」
何故自分はここに寝ているのだろうか。寝ていたということは、意識を失ったということか。
そこまで考え、意識を失う直前の光景が脳に映し出される。
捕らえられたサンジ。銃口。目の前に立ちはだかった男。そして……。
「っ………!!」
「ダメだぞ!急に起きたら!」
勢いよく起き上がった反動で脳が揺れる。
頭を押さえて、ベッドに倒れ込みそうになった所を、ロビンの手がふわりと支える。
そのままゆっくりと、再びベッドに寝かされた。
「まだ少し熱もあるし本調子じゃないんだから、無理に動いちゃダメだぞ」
「……あいつは?」
目を手で覆ったまま、一番気がかりなことを聞く。
「心配ない、ピンピンしてる。少し怪我をしてたけど、ほぼかすり傷だ」
チョッパーから満足の得られる回答を得、安堵の息を吐く。
「そうか……」
「………なぁ、ゾロ」
おずおずとしたその声に、ゾロは目を覆っていた手をずらしチョッパーを見る。
「あの、その……どっか体が変だとか、あるか……?」
「いや……少しだるいが……痛みとかはないぞ?」
「そうか……。…………あの、な……ゾロ………」
なんとも歯切れが悪い。
何事も潔いことを好むゾロは、体調の悪さも相まってつい少し声を荒げる。
「何だよ。言いたいことがあるならハッキリと……」
そこで、違和感に気付いた。
耳慣れない声が聞こえる。しかも、己の内側から。
………今のは、誰の声だ?
己から発せられる声が、異質なものに聞こえたのだ。
まるで自分の声じゃないような……誰かの声を借りているかのような違和感だった。
「………あ?」
いつも刀を握っている手を見る。
己のものより、細くやわらかそうで、少し小さかった。
再び勢いよく起き上がり、毛布をめくり上げる。
今度は違った意味で、眩暈がした。
そこには大きな胸と、どこからどう見ても女のラインを描いている己の体があった。
「な……な……なっ……!!?」
「私は可愛いと思うわよ」
ナミのフォローだかなんだかわからない発言に、突っ込む余裕すらゾロは失った。
「ごめんなさいね。服は勝手に私のものを着せたの」
「だってゾロ、身長は少ししか変わってないでしょ?私の服じゃ入らなかったのよ」
「一応、できるだけ動きやすい服を選んでみたのだけれど…どうかしら」
「似合ってると思うわよ」
「そう、それならよかったわ」
「あの……2人とも、そういう問題じゃないと思うんだけど……」
放心状態のゾロは、女性2人の会話を聞くともなしに聞いていた。
不思議がその辺の石ころのようにゴロゴロと転がっているグランドラインである。
ナミもロビンも、驚くということに耐性ができていた。
しかしゾロは、己が女になろうとは考えてもみなかっただろう。
「………これは、元に戻るのか?」
「それはこれから調べなきゃいけないんだ。サンジの話によると、薬でそうなったんだろ?なら元に戻る薬もあると思うんだ」
「そうか……。…任せる」
「うん、きっと元に戻してみせるから」
「あぁ………頼む」
力強いチョッパーの言葉に、ゾロは頷く。
普段はおどおどしていても、やはりいざという時は頼りになる船医なのだ。
チョッパーの決意に、ゾロは少しずつ自分を取り戻しはじめた。
「さて。それじゃあ私たちは、お買いものにでも行く?」
突然、ナミは喜々としてなんとも日常的な提案をする。
もちろんこれは、ゾロに対しての提案だ。
「はぁ!?」
「だってアンタ、すんごい美人なんだもの!何でも似合いそう!」
「誰が女物の服なんか着るかよ。動けりゃそれでいい」
「仕方ないじゃない。今までの服じゃ大きすぎて動きづらいでしょ?いつまでかかるかわかんないのに、元に戻るまでロビンの服を借り続ける気?」
「そ、れは……」
「情報収集にもなるわよ?薬を持ってた連中、一度取り逃がした相手を見つけたら接触してくるかもしれないじゃない」
「うっ……」
「そうすれば、元に戻る方法を聞きだして、ぶっ飛ばしちゃえばいいのよ」
「………………」
「ハイ、決定〜!」
口でナミに勝てるものはこの船にはいない。敢えて挙げるなればロビンだが、ロビンがナミと口で争うことはそうはない。
むしろナミと男達の会話をニコニコと楽しそうに聞いていることがほとんどである。
ゆえに、この船で一番口が回るのはナミだと認定して良いだろう。
ゾロはすっかり不貞腐れてしまったが、ナミの言うことにも一理あると思い直し、出かけてみようかと考えた。
「ゾロ、本調子じゃないんだからな?もう少し寝ててもいいんだぞ?」
チョッパーが助け舟を出すが、大人しく寝ていられないゾロである。ゆっくりと起き上がり、チョッパーの頭をポンポンと叩く。
「問題ない。自分のことだ、お前だけに任せるわけにはいかねぇからな」
優しく言われるときつく言い返せないチョッパーである。
「ゾロ。男と女って、体のつくりが全然違うんだ。ゾロは急激に変化しちゃったから、その変化に体と脳が対応しきれないかもしれない」
「ああ。変だと思ったらお前に言う」
「絶対だぞ?ナミとロビンも協力してくれよ?女の体のことは2人がよくわかってるだろうから」
「ええ」
「任せときなさいって。ゾロ、おかしくなったらすぐ相談にいらっしゃい」
「……誰がお前になんか相談するか」
「ひどいわねぇ〜。女としてはセンパイなんだから敬いなさいよ」
「ふん」
軽口を叩けるなら大丈夫かな、とチョッパーは少しホッとした。
今までこのような症状は見たことがなかったが、体が変化するということは、心もそれに伴い歪みが生じてしまう恐れがあると考えていた。
ゾロは強いから大丈夫、もちろん気をつけるけど、きっとすぐ元に戻してみせる、ゾロなら大丈夫、と不安を取り除くように心で唱えた。
「さて。それじゃあんたたち、ちょっと出て行きなさい」
「あん?」
「出かけるんなら着替えなきゃいけないでしょ?乙女の着替えを覗くつもり?」
「俺は女になったからいいんじゃねぇのか?」
ニヤリと試すように笑うゾロの頭を、ペシリとナミがはたいた。
「どうせ男に戻るんでしょ?中身まで女になったんじゃないんだから、誰が見せるもんですか。どうしても借金を増やしたいってんならいいけど?」
1言えば10返ってくる。ゾロとて本気で言った訳ではないので、鼻を鳴らしてベッドから慎重に降りる。
先程のような眩暈の心配はなさそうだった。
「………そういや、俺はどれくらい寝てた?」
「丸半日以上だよ。もうすぐお昼だ。出かけるならお昼ごはん食べてからの方がいいと思うぞ」
「そうか」
ゾロは壁に立てかけてあった三本の刀を手にし、チョッパーとともに女部屋を出た。
「んナミすわ〜ん!ロビンちゅわ〜ん!お昼ですよ〜!!野郎ども、メシだ!!」
メリー号に、サンジのお昼の号令が響く。
男どもがドタドタと足音を鳴らし、我先にとキッチンに飛び込む。
着替えを終えたナミとロビンも続いて現れた。
「いっただっきまーす!」
気持ちがいい程の挨拶を聞き、サンジは満足そうに給仕する。
「あら、ゾロったらどこ行ったのかしら」
「え、ナミさん、ゾロ、起きたんですか?」
「ええ。あいつ顔出さなかったの?」
「そういや俺もまだ見てねぇな。大丈夫だったのかよ?」
「おれもまだみてねぇぞ。びじんだったか?(ばくばくむしゃむしゃ)」
ルフィとウソップはまだ、ゾロの女になった姿を見ていなかった。
事情はサンジの話で知っていたが、ゾロが運び込まれた女部屋が立ち入り禁止とされたため、実物にお目にかかっていないのだ。
サンジは知っているが、それは薬を飲まされて意識を失ったゾロをメリーまで運んだからであり、それからは一切姿を見ていない。
ということはつまり、ゾロが女部屋を出てからまだ誰にも会っていなということで…。
「チョッパー、あいつがどこに行ったか知らない?」
「ううん。俺あのあとすぐに医学書を読んでたから……」
「ま、どうせまたどこかで寝てるんだろ。あとで探して食わせとくよ」
「お願いね、サンジくん。あいつと出かけることになってるから、さっさとしなさいって伝えといて」
さすがにナミもゾロが病み上がりだとわかっているので、寝ていると思われるところをすぐに起こしてきなさいとは言わなかった。
もう1日も経たないうちにログが溜まり出航できるのだが、ゾロがこのままでは船を出せないとナミは考えている。出航はゾロの体を元に戻してからだ。
少し時間がかかりそうだと踏み、それなら買い物が1日くらい遅れようが何の問題もないと、呑気に構えていた。
ガン、と壁を叩く音が響く。
ゴン、と今度は鉄を叩く鈍い音が響く。
長い棒の両脇に錘がついた道具を持ち上げようと、ゾロの手は力強く棒の中心を握りしめる。
しかし。
いつもは軽々と持ちあがるそれが、両手を使い、全身に力を込めても少し前後に揺れるだけだった。
また、握りしめた拳を鉄の棒に叩きつける。
「………………っ!!」
ジンとした痛みが腕まで伝う。
しかし物理的な痛みなどより、この現実にゾロは追い詰められていた。
「………くそっ……!!」
刀を握る。鯉口を切り、刀身を晒す。右から左へ、袈裟斬りで振り下ろす。
両手が震えた。
一本ですら、思うように刀が振るえなくなっていた。
「なんだ、こんな所にいたのか。メシだぞ。食えるか?」
船のあちらこちらを探しまわり、ようやくサンジがゾロを見つけたのは格納庫だった。
よく晴れた太陽の光が窓から差し込んでいるが、室内の明かりを点けていないので中は少し薄暗かった。
サンジは心配で仕方なかった。
体調は悪くないか、どこも痛くないか、メシは食えるか。
そして、不安になっていないか。
「女のゾロ」に対して、助けてやりたい、守ってあげたいという庇護欲がサンジに生まれていた。
本人に言えば殺されるだろうから言ったことはなかったが、男のゾロに対してもそんな気持ちがないわけではなかった。
しかし、同じゾロが相手でも「男」と「女」という違いだけで、芽生える感情に差ができた。
それはサンジにとっては当然のことだった。
女は守るべきものだという考えが、サンジの中に強くあるからだ。
ゆえに、ゾロに対する態度に変化が出たことも当然だったのだ。
「……どうした?体、どっかおかしいのか?」
背を向け、立ち尽くしたままぴくりとも動かないゾロに、サンジは不安を覚えた。
己が力にならなければという想いが一層強まり、一歩を踏み出す。
「ゾロ……?」
「近付くな」
ぴしゃりと言い放たれ、思わず立ち止まる。
「………しばらく、放っておいてくれ」
いつものゾロよりも、少し高い声。
向けられた背中はいつも追いかけているそれではなく、頼りなく見える。
放っておけと言われてその通りにできるサンジではない。
驚かさないようにゆっくりと近付き、そっと後ろから抱きしめる。
腕の中にすっぽりと収まった体はやはり細く、しかし女性としては非常に魅力的だった。
元々が女好きのサンジである。愛する恋人が女の体を持ったのなら、それを愛でたいと思うのは当然のことだった。
もちろん性欲も沸き起こる。しかし、突然男から女になってしまったゾロの戸惑いを慮るだけの甲斐性はあった。
少しでもゾロが落ち着けるならと、今はそれだけを想って抱きしめた。
だが。これらの想いは決してゾロが望むものではなかった。
心配されている、守られていると感じれば感じるほど、己が弱くなったのだという現実を突きつけられる気がした。
戦うことしかできない自分。
その自分から戦うことを取ったら、この船にいる意味さえないとまで思わせた。
……こんな己が、世界一を目指すなんてことができるのだろうか。
ゾロの信念が、揺れた。
「……離れろ」
「だめだ」
「………そんなに嬉しいか」
「は?」
「俺が、女になって」
「なっ…」
サンジの腕が緩む。
ゾロは腕から抜けだし、サンジに顔を向ける。
睨み据えるような、助けを求めるような歪んだ表情だった。
普段は決して見せない涙が頬を伝った。
「俺は……嫌だっ……!」
悲痛な叫びが、サンジの耳をついた。
そのまま刀を一振り握りしめ格納庫を飛び出そうとする。
サンジは慌てて、すり抜けようとするゾロの腕を掴み引きとめる。
「待て、ゾロ!」
「離せっ!」
力ずくで振り解こうとしたが、ゾロはまたここで現実を突きつけられる。
腕を振り解けない。
どれだけ力を込めようと、サンジはビクともしなかった。むしろ軽々とゾロを捕まえている。
力の差が悔しかった。同時に己が情けなくもあった。
この場から、早く逃げ出したかった。
キン…と音をたて、ゾロが鯉口を切る。
ふっと力を抜き、サンジがバランスを崩した瞬間、懐に入り込んで刀を抜く。
抜きざまの一閃を後ろに躱されたが、その隙にゾロは格納庫の扉を開け、船を飛び出した。
「ゾロっ!!」
後を追うため、サンジも続いて船を降りる。
すでに小さくなりつつある緑頭の後姿を見失うまいと、全力で駆け出した。
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